20歳の決断、そして「名前」で呼び合う距離
「熊己(くまみ)」という私の名字は、全国に40人ほどしかいない、妻の家の名前だ。
けれど、久栄建設の船の上にいるとき私は名字で呼ばれることはほとんどない。みんな、下の名前で私を呼ぶ。
ここでは、年齢やキャリアの壁を越えて名前で呼び合う独特の距離感がある。
その響きが、荒々しい海の上で戦う私たちのチームをどこか家族のように近くさせている。
4年前、20歳だった私は、別の造船所で船を造る仕事をしていた。
けれど、そこは労働環境が劣悪で雇用保険も社会保険も整っていないような場所だった。
自分の知らないところで確定申告が進められているような不信感の中で、「まっとうに働くとは、どういうことか」と一人悩んでいた。
そんな時、父親の縁でこの会社の社長と繋がり、未経験で久栄建設の門を叩いた。
入社して驚いたのは、前職とは何もかもが違っていたことだ。
24歳になった今の私の給料は、大企業の新卒の給与がニュースを賑わせることもあるけど遜色ないくらいもらっている。
同世代の奴らと比べても、生活には圧倒的な余裕がある。
だけど、私がこの会社に骨を埋めようと決めた理由はお金だけじゃない。
この「船の上で生きる」というスタイルそのものが、私の性分に、驚くほどぴったりと嵌まったからだ。
仲良くできる時間、一人になれる自由
よく「船の上の共同生活」と聞くと、息が詰まるような集団行動を想像されるかもしれない。
けれど、実態は全く違う。外洋の船乗りのように何ヶ月も陸に上がれないわけじゃない。
船は基本、岸壁に着いているから、仕事が終われば車を走らせて街へ買い物に行けるし、自由に外食だってできる。自由度は、想像以上に高い。
何より、この仕事には「仲良くできる時間」と「一人になれる時間」の、完璧なバランスがある。
仕事が終われば、食堂へ行って「わちゃわちゃ」と仲間たちと賑やかに飯を食い、笑い合える楽しさがある。
一方で、一歩自分の部屋に戻ればそこは完全な個室だ。
私はそこで、大好きな本を読み映画に浸り、誰にも邪魔されない孤独を静かに楽しむ。
人付き合いが好きなだけでも、一人が好きなだけでもこの仕事は務まらない。
「自分は自分、人は人」と心地いい線引きができる、精神的に自立した大人にとって、これほど贅沢で快適な環境は陸の上を探してもそうそう見つからないはずだ。
広島にいるだけでは絶対に味わえない景色を、会社のお金で旅するように経験できる。
鹿児島や大分の現場で過ごした時間は、私の人生の財産だ。
だから入社して3年半、私はただの一度も「会社を辞めたい」と思ったことがない。多分それはこれからもそうに違いない。
自然を相手に、思考を巡らせる面白さ
もちろん、海は優しいばかりの場所ではない。現場仕事を志す以上、自然の洗礼への覚悟は絶対に必要だ。
夏は海面の容赦ない照り返しが襲い、入社1年目は毎日のように頭痛がするほど熱中症の恐怖と戦った。
冬になれば、吹き付ける極寒の風のなか雪がまつ毛に積もるような日もある。
波が高い日には、船が激しく揺れ、「沈むんじゃないか」と本能的な恐怖を覚える瞬間だってある。
それでもこの仕事が面白いのは、これが決して「ルーティンワーク」ではないからだ。
海の仕事は、陸上の工事のように予定通りにはいかない。潮の満ち引き、波の高さ、風向き、船の位置。
同じブロックを吊り上げるのでも、現場の条件は毎日、毎秒変わる。
状況を見て、今何をするべきかを自分で判断し応用していく力が求められる。
「こういう時はこうする、とパターンでしか覚えられない人は、ここでは難しい」
マニュアル通りにしか動けない人は止まってしまう。
だからこそ、自分の頭で考え応用を利かせる面白さがある。
現場がない日には、命を預かる仕事道具である船を徹底的に整備する。
「仕事に行くより整備の方が大事」という勢いで、道具を慈しみ、磨き上げる時間も私は嫌いじゃない。
24歳、この船の上で未来を描く
休日は、16歳の頃から一途にアプローチを続けて結ばれた、大好きな妻と呉の街で暮らしている。
ドライブをしたり、美術館や演劇鑑賞に足を運んだり。
現場の人間っぽくないと言われる文化的な趣味も、一人の時間を愛する私にとっては心を豊かにするための大切な営みだ。
私にとって、久栄建設という会社は本社ビルの中にはない。
私が毎日を過ごし、汗を流し、仲間と語り合う「この船」と「このチーム」こそが、私の愛する会社そのものだ。
ここには、自分からやる気を見せれば、必ず誰かが手を差し伸べ可愛がってくれる温かさがある。
将来、クレーンオペレーターになるのか、それとも船長を目指すのか、24歳の私はまだ決めていない。
今はまだ、この海が教えてくれるすべての技術と、先輩たちの背中から学べる知恵をスポンジのように吸収することで精一杯だ。
海沿いの道を、妻とドライブしながら通り過ぎる。
そこには、かつて私たちが命を懸けて据え付けた防波堤や護岸が、何事もなかったかのように静かに佇んでいる。
「これ、俺たちがやったんよ」
そう隣の妻に笑って言える瞬間、私はこの職業を選んだ自分の選択が間違いじゃなかったと確信する。
地域の風景の一部として、何十年も残っていく誇りを胸に私は明日も、愛するこの船で海へと出航する。