「昨日と同じ明日」からの脱出
高校を卒業してからいくつか仕事を経験した。
久栄建設へ入る直前まで勤めていたのは、油を貯蔵するタンクに関わる会社だった。
屋外での仕事だったから、夏の溶けるような暑さも冬の凍える寒さも一通り経験していた。仕事自体が嫌だったわけじゃない。
ただ、毎日やることはほとんど同じだった。
昨日も今日も、そしておそらく明日も同じ作業を黙々と繰り返す。
3年ほど働くうちに、「仕事とは、ただ時間をこなすものなのだ」とどこか冷めた気持ちで諦めていた。
そんなボクの耳に飛び込んできたのが、同級生からの誘いだった。
みゆき号の船長が亡くなり、現場の人が足りなくなっている。
「よかったら来んか」
最初に確認したのは、やっぱり給料のことだった。
前職より明らかに条件が良い。それが転職を決めた大きな理由だった。
実際に入社してみると、給料は上がり休みも週休二日になった。
条件面への不満はひとつもなかった。 けれど、入社して一番大きく変わったのはお金のことじゃなかった。
仕事が、圧倒的に面白くなったのだ。
惹かれ合った、船の上の「絶妙な距離感」
前職では、同じ場所で同じ作業を繰り返す毎日だった。
けれど海の仕事は、現場が変わればやることも丸ごと変わる。
船を動かし、ロープを取り、クレーン作業を補助し、溶接をし、機械を整備する。
初めて見る道具、初めて触れる機械、まだ自分には手も足も出ない仕事が、次から次へと現れる。
入社して十か月。正直、今は分からないことの方が多い。
技術的なことは難しいし、先輩たちが当たり前のようにこなす作業もボクにとっては初めてのことばかりだ。
それでも、嫌だと思ったことは一度もない。むしろ、新しいことを覚える毎日の方がずっと面白い。
会社の仕事は基本的に瀬戸内エリアが中心で、普段は毎日家から通える現場がほとんどだ。
ただ、今の現場は平日は船に泊まり込み、金曜の夜に帰宅する長期のスタイル。
こういう出張のような現場は少し特別だけれど、朝起きればすぐ目の前に現場があり仕事を終えてもそのまま船の上で寛げる。
仕事が終われば、それぞれが自分の時間を楽しむ。スマホを見たり、買い出しに行ったり。
酒は飲まないけれど、山岡船長が晩酌用のつまみを多く作った時には「食うか」と分けてもらう。
山岡船長は年齢も近く、何でも話せる人だ。分からないことを聞けば優しく教えてくれるし、頭ごなしに怒鳴られることなんて一度もない。
四六時中ベタベタ一緒にいるわけじゃない。
現場では声を掛け合って力を合わせ、終われば個人の時間をリスペクトする。
このつかず離れずの心地よい距離感が、ボクの性分に驚くほどぴったりと嵌まった。
愛車と我が子、そして描く「十年後」の背中
週末になり、家へ帰ると妻と二歳の息子が待っている。
平日のワンオペ育児を背負ってくれている妻には、本当に感謝しかない。
文句一つ言わずに送り出してくれる妻のためにも、週末は息子と全力で遊び倒す。
時間があれば愛車を走らせる。
ボクの相棒は、左ハンドルのマツダ・ロードスター。
幼い子どもがいる家庭の車としては、お世辞にも使い勝手が良いとは言えない。
それでも、たまたま見つけたその一台にひと目惚れしてずっと大切に乗り続けている。
自分の「好き」を貫ける時間があるからこそ、また次の週から海の上で頑張れる。
船の上で新しい仕事を一つずつ覚え、週末は父親として家族と過ごし、好きな車を走らせる。
派手さはないけれど、確実に自分の足で立っている実感がある。
「十年後、どうなっとりたい?」と聞かれた時、頭に浮かんだのはクレーンオペレーターの姿だった。
巨大なクレーンを操り、波揺れる海の上で重たいブロックをミリ単位で正確に動かす職人技。
今はまだ近くで見上げるばかりで、すぐになれるとは思っていない。
溶接などの資格を取り、一つずつできることを増やしていく必要がある。
それでも、自分がこの会社で汗を流し続けている未来は驚くほど自然に想像できるのだ。
入社してから十か月、辞めたいと思ったことはただの一度もない。そこに大げさな理由があるわけじゃない。
仕事が面白い。
給料が良い。
休みもしっかりある。
周りの人が優しい。
そして何より、昨日できなかったことが今日はできるようになっている。
だから今のボクには、ここを辞める理由がひとつも見つからない。自分にとっては、それだけで十分すぎるほどだ。